百姓それは生きる力。
尊敬する木次乳業の創始者、佐藤忠吉さんも、柿の木村のオーガニックの先達である福原さんも
名刺の肩書きは「百姓」だった。
百姓とは、暮らしのための仕事が百できる、ということだと私は理解している。
今の私はどうだろう。幾つの仕事ができるだろうか。
今世で幾つの仕事をできるようになれるのか。百姓を目指しつつ、寿命をまっとうしてお宙に帰る時にはせめて八十くらいは身につけておきたい。
今、もし日本が鎖国をしたり天変地異が起きて貨幣経済やライフラインが壊滅的な状態になっても生きていける人になりたい。もっというと大切な人の命を守り、村(コミュニティ)の役に立つ人になりたい。
約20年、塩爺について塩焚きを手伝ううちに、私の理想は自然と塩爺になった。
そしてそれを言葉にするなら百姓なんだと思う。
暮らしの中の衣食住にまつわるありとあらゆる仕事、手仕事。
例えば、食べるものを田畑でつくる、薪を割る、火を起こす、食事の支度をする、繕い物をする、などは日常茶飯事。
さらに範囲を広げていくと、草木染めするとか道具を作り出す、修繕する、山の手入れをするなど実に仕事、手仕事は多岐にわたる。
そんな仕事、特に手仕事の担い手が時代と共に地域から姿を消しているのが今の時代なんだと、日々痛感している。と同時に、凄く焦っている。
まだ、知恵をもつ先輩から直接学ぶことができる今だからこそ、その手仕事を私たち世代が聞いて、からだを動かして体得していきたいと思う。
でも、からだは1人にひとつ。ひとりであれもこれもと手を出せば全てが中途半端になってしまうというジレンマもある。
だからね。
素敵だなあと思う手仕事に出会ったら、是非とも一歩踏み込んで体験させてもらったらいいと思う。そしてもし性に合うようなら、程よい距離感で仲良くなって、自らに手仕事や知恵をストックしてもらいたいと思う。
1人1手仕事。それが繋がれば、膨大な百姓の知恵を残すことができる。
そんなことを思いながら、今日もわたしは美しいと思う手仕事を貪欲に学んでいる。
一生かけて、何姓になれるのかな。
どうか、日本の美しい手仕事を一つでも多く、次世代につなげますように。
半端でも良いから、分業制な昨今の仕事よりも色んなことができる何でも屋を私も目指したいものです〜