都茂銅山跡
おっさん@すきま
2021年09月26日

石見銀山は有名ですが、
美都に「銅山」がありました。
匹見~美都を結ぶ最短ルート(とナビが教えてくれました)の「険道172号」を走ると、
ひっそりと「鉱山跡」があります。

『ポツンと一軒家捜索隊』なら寄り道するところですが、対向スペースのない「険道」で、車を離れられません。(たぶん後続車なんか来ないだろうと思ってたら、バイク2台が向かいからきました)
※ 平日は工事のため通行止め。

https://www.geo.shimane-u.ac.jp/geopark/tsumokozan.html
1987年閉山。
鉱山事務所跡も閉鎖されていました。

コメント
ここでもkinoco
おっさん@すきまさん、こんにちわ。
こんなところにも銅山跡が眠っていたのですね。
しかもリンクを見ると、平安時代には採掘が始まっていた記録があるようでビックリです(O_O)
2021年09月26日
しまにゃんちゃん
おっさん@すきまさんこんにちは(=⌒_⌒=)
このように最近まで稼働していた銅山が島根にあったのですね。
邑南町や奥出雲もそうですが、島根は鉱山に恵まれていたのですね。
2021年09月27日
おっさん@すきま

ここでもkinocoさん、コメントありがとうございます。
銅剣や銅矛は島根が全国に誇りますからねえ。 当然、銅の産出地だったんでしょうねえ。
2021年09月27日
おっさん@すきま
しまにゃんちゃんさん、コメントありがとうございます。 明治の初めには、東京府より人口が多かった島根県です。 銀も銅も鉄も。 (金山はないですかね。) 資源と地形に恵まれて繁栄しました。 (寂れていくのは、産業革命以後「輸入原料」に頼るようになってから)
2021年09月27日
紀伊神谷
おっさん@すきまさん こんばんは

恥ずかしながら、美都に銅山がある事を知りませんでした
知識が増えました、有用な投稿ありがとうございます
2021年09月27日
おっさん@すきま
紀伊神谷さん、コメントありがとうございます。 古代の銅剣銅矛銅鐸から、銅銭や銅鏡や、大仏に至るまで、銅の生産はどこかで行われていたはずですが、足尾とか別子とか近代の銅山は教科書に載っても、古いのは知られてないですからね。 これがもっと大きい鉱山なら、三江線みたいに鉄道が敷かれたかも?
2021年09月28日
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