Naosyuke
2019年05月18日
今ではもう知る人も少ない舟つきの松。
不昧公の室が、仙台・伊達家からご持参になった盆栽を家老柳多四郎兵衛が育成を命じられ、後日、その中屋敷のあった現在の地に植えたもの。
歴代藩主が楽山の別荘に向かう途すがら舟をつけたところからこの名がある。
樹齢約300年、高さ6.7メートル、幹周り3.6メートル、枝の広がりは180平方メートル。
それはそれは非常に美しい枝ぶりの松で、松江市の天然記念物にも指定されていました。
が、周囲の水位上昇が続き、洪水がトドメを刺す形となり根腐れを起こして残念ながら枯死してしまいました。
伐採に立ち会ったのですが、松の幹には写真2のように悲しくなるぐらい空洞が。
ちょっと見でも回復不能ででした。
いっときこの木から取った細胞で2世を!という報道もあったのですが、あれからかなり経ちますのでダメだったのかもしれません。
今では看板がわずかに当時を思い出させてくれます。
可能であれば2世の舟つきの松を植えていただくと嬉しいのですが。
先ずは、盆栽がこの大きさになったことが驚きです
伐採にまで立ち会われたとのことでお尋ねするのですが、画像1の木の後ろの家は何はいわれのある建物なのでしょうか?
残念なことですが、在りし日の写真、よく残されていましたね(^^ゞ
いつ頃、撮影されたものなんでしょうか・・・
松江市中心部にこのような場所があることは知りませんでした。
写真を見たときは「間違いなく郊外」だと思い違いをしてしまいました。
「島根大学で何とかして2世の細胞を!」と、上手くいかないものかと思っています。
すいません、少し語弊がありました。
仕事として立ち会ったわけではなく、伐採の最中に現場に居合わせたといったほうが正確です(;^_^。
もともとあの家は家老 柳多四郎兵衛の中屋敷でしたが、明治維新後に豪農の野津氏に渡り1996年に市に寄贈されたとのことです。
公園及び展示室として一部部材を再利用する予定とのことです。
郊外に見えますよね。
確かに船着場があったり建物は朽ちていたりで一種独特な雰囲気はありました。
実際、旧野津邸への道も分かりにくいものでしたし。
市の報告書を読むと2代目の植樹とありましたので、もしかしたらどこかで順調に育っているのかもしれません。
期待したいところです。
まぁ、元の大きさに育つまで私が生きているのはどう考えても無理ですけど(;^_^。
2009年2月となっています。
本当に綺麗な松でしたし、300年の樹齢の最後にしては余りにあっけなく寂しかったですよ。
どうなんでしょう。
私も詳細はわからないのですが、なんか理由があったんでしょうね。
松ぼっくりのできない松だったとかw。
そんって。