岩坪明神
Naosyuke
2018年08月29日

先日、岩坪内の砂を書き出しておられましたが、速攻砂で埋まってしまったようです。
歴史を感じられる不思議な場所でした。

「出雲国風土記」(733)には、ここに須佐能袁命の御子、和加須西利比売が住んでおられて、そこへ大国主命が通ってこられた時、この谷川の水が岩面を滑らかに流れる様子を見て、「滑し盤石なるかも」と仰せられたので、この地方(神西・江南)を滑狭郷というようになった、と述べている。即ち郷名の発祥地は、此処、岩坪の地である。
また「雲陽誌」(1717)には、2~3尺四方の岩穴が5つあった岩坪といい近くに2神を祀る岩坪明神(那売佐神社のこと)があると記述されている。
更に「出雲国式社考」には、この岩坪は、ふだんは砂を満たしているが、旱魃の祭、これを掘り出し雨乞いすれば忽ち雨が降るという伝説があることも記述されている。
一般に甌穴とは、急流の川床の岩面にできる鍋状の穴をいう。円い礫が穴の中に入って流水によりこれが回転し、永い間に岩面に大きなくぼみをつくったと考えられる。
この岩坪は、古い文献にもみられる貴重な天然記念物であり史跡である。

コメント
しまにゃんちゃん
Naosyukeさんこんにちは(=^・^=)

「速攻砂で埋まってしまったよう」とのことですが、結構な深さの穴もありますね。時の長さを感じます・・・早送りで穴が開いていく過程を見てみたいですね。
2018年08月29日
ここでもkinoco
Naosyukeさん、こんばんわ。
この岩坪の穴、けっこう大きいようですね(゜o゜)
甌穴というのも、今では解明されてますが、昔は不思議な物だったんでしょうね(^^ゞ
2018年08月29日
Naosyuke
しまにゃんちゃんさん、こんにちは。
早送りで…その発想はありませんでしたw。
1717年には今の状態だったようですから、相当昔からタイムラプス撮影をしないといけませんね〜。
あまりに長すぎて撮影者自身が結果を見られないというオチが(;^_^。
2018年08月29日
Naosyuke
ここでもkinocoさん、こんにちは。
単に大きさでいうと、以前しまねツウでお伝えしたひょうたん池の方が大きいのですが、山の中にある分こちらの方が神秘的な感じがしますね。
昔の人はどう思っておられたのか、確かに聞いて見たいところです。
2018年08月30日
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